名古屋から日帰り鉄旅

名古屋から日帰りでいろんな路線を制覇する人の旅日記。

焼き打ちで名古屋鉄道と名古屋市交通局に分かれた鉄道会社の話 名鉄の歴史 その壱 (雑学①)

こんにちは。
普段は鉄道旅行の記録をブログに記しているわけですが、3日に1回の投稿を始めてネタの消耗(?)も激しいので、、、
毎週金曜日には、鉄道の雑学をネタにして書こうと思います。
つまり、投稿頻度が少し高くなるということです!これからもよろしくお願いします!

さて、今回のテーマはこちら。
「カオスを突き進む名鉄の歴史とは?」

名古屋鉄道(名鉄)は、その特徴的(カオス)な車両やダイヤなどで知られていますが思ったよりも歴史については知らない方も多いのではないでしょうか。
そう思ったので、初回からは名鉄の歴史について紹介していきたいと思います。

2つの鉄道会社

名鉄は、主に2つの大きな会社が元になっています。
愛知県西部の路線を持っていた名岐鉄道と、愛知県東部の路線を持っていた愛知電気鉄道です。
この2つの会社を一つの記事にまとめると文字数がとんでもない事になるので今回は名古屋電気鉄道だけの紹介となります。

名古屋電気鉄道

名古屋電気鉄道は元々、「愛知馬車鉄道」という会社として設立されました。(1894年)
だから昔は愛知に馬車が走っていた、、、のではありません。設立直後に、愛知馬車鉄道は電車を走らせる方針に変え名古屋電気鉄道(名電)に改名しました。早速カオスな事をしていますが、実は日本で2番目に電車運行を開始した鉄道会社でもあったり、、、
そんなわけでこの会社は名古屋市には路面電車(市内線)を、郊外には普通の電車路線(群部線)を伸ばしていきました、、
しかし!!
名古屋電気鉄道は運賃が高かったのです。(今の名鉄もそうですが)路面電車も、運賃は距離によって変わっていたので乗客は不満を持っていました。

それにも関わらず、名電は運賃の値上げを発表。
怒った利用者の一部は、名古屋の鶴舞公園に集まり運賃を安くするよう要求しました。(1914年)
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(鶴舞公園の位置 Appleマップより)




そしてその集まりが解散した後に事件が起こります。




焼き打ち事件発生

暴徒化した一部の人が近くを走っていた電車を破壊し始めた事から事件が起こりました。その騒ぎはどんどん飛び火し、当時のターミナル駅だった柳橋駅(現在の名古屋駅伏見駅の間らへんにあった)とその隣の名電本社も破壊されました。20両ほどの車両と柳橋駅・名電本社が被災し、最終的に軍隊までが出動しこの騒ぎは収まりました。

この事件を受け、名古屋市はどさくさに紛れて路面電車路線(市内線)を公営化。名電は解散して、群部線は(旧)名古屋鉄道になり、市内線は名古屋市電になりました。
この名古屋市電が現在の名古屋市交通局
(旧)名古屋鉄道が現在の名古屋鉄道です。
要するに、名古屋市交通局名古屋鉄道は元々同じ会社だったということです。
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名古屋電気鉄道の利益のほとんどは路面電車からでした。群部線を引き継がれた(旧)名古屋鉄道の経営は決してうまくいっていませんでした。(旧)名鉄は、まず名古屋から岐阜までの線路を引くことを計画します。
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(当時の路線図)
(旧)名鉄は、岐阜の路面電車路線(岐阜市内線)を持っていた美濃電気軌道を合併し、名岐鉄道に社名を変更します。そして押切町から岐阜までの路線の建設を始めました。
そして尾西鉄道(尾西線)なども合併し、線形はガタガタでしたがなんとか岐阜までの路線が完成しました。

ちなみにですが、名鉄岐阜駅の手前の単線区間はこの時代から既にあったと言われています。決して、JRの高架が邪魔しているわけではないそうです。しかも、現在の状況では単線区間があっても特に問題はないらしいので尊名鉄攘東海派*1の方はこの事で怒らないであげてください。

、、、とここまで来たところで、名岐鉄道は愛知電気鉄道と合併するのですが、、、

今回はここまでです。次回は、愛知電気鉄道の話をします。
名鉄豊橋駅がない理由や、知立駅東のS字カーブが出来た理由が明らかになります!お楽しみに!

ここまで読んでいただきありがとうございます。よろしければ評価等してくださると幸いです。なにか意見・要望がありましたらコメントにてお伝えください。

*1:尊王攘夷派」から派生して私が勝手に作ったワード。名鉄を尊び、JR東海を打ちはらうという意味。(は?)