名古屋から日帰り鉄旅

名古屋から日帰りでいろんな路線を制覇する人の旅日記。

国鉄に喧嘩を売った波瀾万丈な鉄道会社の話 名鉄の歴史その弐 (雑学②)

前回の記事
mytetsutabi.hatenablog.jp

名鉄は、前回の記事で述べたように名鉄は主に2つの会社から出来ました。
今回は、その2つの内の愛知電気鉄道と合併で今の名鉄が出来た話です。

愛知電気鉄道

愛知電気鉄道は、愛知馬車鉄道(→名古屋電気鉄道)より少し後に設立されました。というより、その名古屋電気鉄道の人も愛知電気鉄道の設立に関わっていたりもしますが、、
愛知電気鉄道は、まず鉄道空白地帯であった知多半島西側に常滑線を開業させます。(神宮前〜常滑)
当時は、常滑焼などの貨物輸送需要や多数の利用者によって経営はウハウハ。
予想以上に利用者が増えすぎたので車両を2両編成に変えるなどの対応までしました。

その後大不況の煽りをうけ、一時期経営不振になったりもしましたが、、

愛知電気鉄道は、神宮前から吉田(豊橋)までの路線(豊橋線)を引くことを計画します。
つまり、国鉄東海道本線に喧嘩を売るという事です。
しかし、当時の東海道本線国鉄が放置プレーしていて本数が少なく普通列車のみが走っているという現状。

これはいける!と思った愛知電気鉄道は多額の費用をかけて豊橋線を建設。
なんと、当時の値段で数千万円という超大金を使いました。
また、「お金がなくなったので駅もつくるお金をなるべく節約したい!」
とのことで豊川鉄道(現在のJR飯田線)から吉田駅(豊橋駅)のホームを借りた経緯で現在も名鉄はJR豊橋駅に乗り入れる羽目になっています。

とにかく、豊橋線が全通し国鉄の利用者は更に減って愛知電気鉄道は圧倒的な勝利。速達列車なども増発しこちらもウハウハになりました。
自治体の土地提供などもあったおかげで線形もなかなか良好で、名電赤坂〜平井信号場は日本の私鉄で一番 直線線路の距離が長い区間とされています。
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勢いが止まらない愛知電気鉄道は他の鉄道会社も飲み込み名鉄(旧)西尾線(廃止)などを所有するでかい会社に。
と、ここで名岐鉄道と合併する話が出てきました。

愛知電気鉄道+名岐鉄道

当初は、名岐鉄道の方は特に合併することに反対でした。名岐鉄道が借金0だったのに関わらず愛知電気鉄道が豊橋線建設で多額の借金をかかえていたからです。
しかし、名古屋の財界からは「早く合併しないかな〜」「経済的にも良いから合併して〜」と、合併に関して期待の目で見られていたので、、、

結局合併しました。

これにて、現在の名古屋鉄道爆誕したのですが、、
名岐鉄道の路線(西部線)は柳橋駅で、愛知電気鉄道の路線(東部線)は神宮前で行き止まりになっていました。
要するに、お互いの路線が繋がってなかったという事です。

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細い線は、後に名鉄が合併などで得た路線。
当時は1945年と戦時中で物資があまりなかったですが、名鉄はなんとか東西連絡線(枇杷島分岐点新名古屋〜神宮前)を開通させました。
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あのハイパーアクロバティックカオスターミナルこと名鉄名古屋駅(当時は新名古屋駅)が出来たのはこの頃です。
なお、名古屋駅は地上を国鉄が、隣を近鉄と地下街が、下を地下鉄(予定地)が取っていたので新名古屋駅はあんなに狭いターミナル駅になりました。

東西連絡線が開通した後、名鉄は他の鉄道会社を飲み込んで行きどんどん大きくなっていくのですが、、

自動車普及が進む時代名鉄はそれに対抗すべく何をしたのか、、?!

ということで、なんか短い気もしますが今回はここまでです。
次回もお楽しみに!
ここまで読んでいただきありがとうございました。