名古屋から日帰り鉄旅

名古屋から日帰りでいろんな路線を制覇する人の旅日記。

伝説の名車、名鉄パノラマカーはすごかった 名鉄の歴史その参 (雑学③)

前回の記事

mytetsutabi.hatenablog.jp

前回の記事では、愛知電気鉄道について触れ現在の名古屋鉄道爆誕するまでの話をしました。
今回は、パノラマカー誕生の話をしようと思います。

名鉄パノラマカー

そもそも、パノラマカーはなぜできたのか。
それは、自動車の普及への対抗手段とするためです。
高度経済成長期、日本は大きな発展を遂げ自動車が一家一台になるように。
愛知県では某T社の思惑もあり、道路が広くされ自動車が便利な社会になっていました。

当時の名鉄は特別料金なしで乗れる車両に冷房をつけたりと自動車より電車に乗ってもらうよう最善の努力をしました。
そしてそんな中、運転席を上に上げて乗客が前を見渡せる車両の構想ができました。
その車両こそ、パノラマカー(名鉄7000系)です。
イタリア国鉄の特急列車をモデルとした車両で、乗る人が楽しめる車両としてつくられました。
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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%90%8D%E9%89%847000%E7%B3%BB%E9%9B%BB%E8%BB%8A

パノラマカーには面白い工夫が沢山あるので、一つ一つ紹介していこうと思います。

運転席は2階

乗客が前を見渡せるよう、運転席を2階に上げました。実は、これに関しては当初名鉄社内では「運転席が狭いのは嫌だ」等の反発の声が多く上がっていたのですが、、
5人入れるぐらい2階を大きく取ることで解決しました。
ちなみに、2階へは車外の足場から登って入るのですが入る際 駅のホームの屋根に頭をぶつけてしまうことも懸念されたため神宮前駅のホームの屋根は少し高くなっている部分があります。

車両の色はただの赤色じゃない

パノラマカーには、「名鉄スカーレット」と呼ばれる赤と青が4:1ぐらいで入っている色で塗装されています。
名鉄の初めて赤い車両はパノラマカーで、当時この赤色はパノラマカーのみに許された色でした。
よく京浜急行電鉄と同じ赤い電車で括られますが、京急の赤とは違う赤なのでお間違いなく。

油圧ダンパー

油圧ダンパーは、先頭車両のライトの隣に付いています。
「ぶつかっても大丈夫な車両をつくる」という安全対策にために付けられたものでした。
油圧ダンパーは、見かけよりも大きく威力は絶大なものだったため、、
事故で踏切で立ち往生した砂利満載のダンプカーを数十メートル飛ばすほど。
この事故の際、パノラマカーは窓が割れたのみでそれ以外に損傷はありませんでした。
そういったことから、「ダンプカーキラー」というあだ名がつきました。

ミュージックホーン

パノラマカーお披露目の際に初公開された、こっそり作っていた要素です。
ミュージックホーンは電気で音がなる電子汽笛であり、空気で鳴らす汽笛とはちょっと違う当時としては珍しいものでした。
ミュージックホーンを初めて搭載したパノラマカー以来、特急列車にはミュージックホーンが搭載されています。(なぜか名鉄電気機関車にもついてる)
ミュージックホーンは、大抵の人には「ど〜け〜よ〜 ど〜け〜よ〜 こわいぞ〜」とか「ど〜け〜よ〜 ど〜け〜よ〜 こ⑥すぞ〜」に聞こえ、またダンプカーとの衝突事故もあったので「どけよホーン」などと呼ばれています。

そんなこんなでパノラマカーは大反響を呼び、雑誌「鉄道ファン」創刊号の表紙を飾ったり、、
「伝説の名車」「永遠の名車」「名鉄不朽の名車」などと呼ばれてブルーリボン賞も受賞。*1
最終的に、名鉄は何と116両パノラマカーをつくりました。これが後々首を締めることになるとも知らずに、、、

パノラマカーのその後

オイルショック以降、鉄道の需要は急に高まりました。
結果、名鉄の利用者が急増しラッシュ時はとんでもないことに。
にもかかわらず、元々名鉄は「愛知は自動車社会だから数少ない鉄道での通勤者にもっと快適に通勤してほしい」という姿勢だったので、車両は素早い乗り降りがしづらい2ドア車でクロスシートパノラマカー含むSR車ばかりでした。

結局、名鉄東京急行電鉄から通勤車両を購入してラッシュ時の運用に就かせます。
この通勤車両は3ドアのロングシート車でした。
今まで2ドアクロスシート固執していた名鉄は考えを変え沢山人が乗れるような車両を作ることにしたのです。

この判断により、パノラマカーは行き場をどんどん失っていくことになるのです。

1988年からは新しくパノラマスーパーが特急運用に入り、パノラマカーは普通や急行の運用に入るように。この頃、パノラマカーはリニューアルされて白帯がついた車両なども登場していました。

21世紀に入り、パノラマカーは速度や定員数からして更に邪魔に。
すでに最初の製造から半世紀ほど経っていて、何より特急を一部特別車とする方針になったのがパノラマカーの廃車に繋がりました。

2009年、ついにさよなら運転を最後にパノラマカーは運行を終了。
たくさんのパノラマカーを惜しむ声がありましたが仕方のないことでした。

現在、パノラマカー中京競馬場舞木検査場に安置されています。
中京競馬場パノラマカーは、一般公開されていて未成年者でも言えば見ることが出来るそうなので、行ってみてください。
また、舞木検査場に置かれているパノラマカーは普段は非公開でイベントの時のみ見れます。

少し手短だったかもしれませんが今回はここまでです。
次回は、あの名鉄のライバルと対決する話です。
読んでいただきありがとうございました。

*1:近鉄ビスタカーブルーリボン賞を取ったのを自慢されたこともパノラマカーをつくる要因になったと言われています。