名古屋から日帰り鉄旅

名古屋から日帰りでいろんな路線を制覇する人の旅日記。

JRとの競争より空港の需要を優先した結果→?? 名鉄の歴史 その五 (雑学編⑤)

前回の記事

mytetsutabi.hatenablog.jp
名古屋鉄道JR東海と競争し勝つことが出来ませんでした。
今回の記事は、その後から現在までの名鉄の歴史をざっと紹介します。

JRに勝てず、収益が悪くなった名鉄

実は、名鉄は収益が大手私鉄の中で一番低い会社です。
大手私鉄の中では営業路線キロが一番短い相模鉄道でさえも名鉄の収益を上回っています。
名鉄は、JR東海との競争を経て利益を持っていかれてしまったのです。

そこで名鉄は、これをなんとかするために様々な施策を実施しました。

・採算の悪い路線を廃止!
名鉄は、多くの路線を持つ大きな鉄道会社でしたが赤字路線が多く経営を苦しめていました。
そこで、いくつか路線を手放しました。

まず挙げられるのは、岐阜市内線
岐阜市を走っていた路面電車の路線でしたが、岐阜市が「これからはバスを使おう」とかなんとか言い出した結果 乗客がバスに奪われ赤字に。
新車両を入れたりして黒字化させようとも努力しましたがついにギブアップ。残念ながら廃線されてしまいました。
三河線の一部末端区間も廃止。
廃線直前は乗客が減っていた区間レールバスというバスの部品を使った気動車で運行して電気系統の設備費をケチる節約するほどのひどい赤字でした。
なお、西中金〜猿投間と碧南〜吉良吉田間を廃止しましたがそれでも三河線は未だ赤字の模様。
また、廃止されたのはローカル線だけではありません。
犬山モンキーパークモノレール線犬山遊園駅から犬山モンキーパークまでを結んでいたモノレールでしたが思ったよりも利用者が少なかったのでこれも廃止されました。

・速達列車の利便性の向上!
JRとの競争で速くなって停車駅が減っていた特急や急行でしたが、利便性を高めることでより多くの需要が見込めると考えられ停車駅が増えました。(特別停車もあり)
例としては、笠松駅新木曽川駅は急行停車駅でしたが、特急も停車するようになり便利になりました。(ちなみにラッシュ時は特急は笠松新木曽川のどちらかに停車)

このような改革を行い名鉄の収益が少しずつ改善されていきました。

そんな名鉄に転機が訪れます。

中部国際空港の開港

名鉄は、神宮前から常滑を結ぶ常滑線を持っていました。
その路線を延伸して当時建設中だった中部国際空港に繋げる計画が浮上し、第三セクター中部国際空港連絡鉄道が建設することに。

これに合わせ名鉄は、常滑線の線形改良などを行いさらに新車両を投入。

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2000系(青)と2200系(赤)です。
空港アクセス特急 ミュースカイとして2000系が、その他の特急・快速特急2200系が運用を

名鉄は、中部国際空港の需要を見込み2000系に多くの投資をしました。
速いスピードでカーブを曲がることが可能になる車体傾斜装置や、先頭車両同士で通り抜けができる貫通扉構造。
大きな扉と荷物スペースがあり、さらには忘れ物防止用のライトがあるほどのこだわりよう。
2000系は、名鉄の大きな期待を背負っていました。

そして中部国際空港がついに開港。
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名鉄の予想以上に多くの利用者がいて、急遽3両編成だったミュースカイを4両編成にするほどの利用者で賑わいました。

収益がオワコンの会社とまで思われた名鉄は、見事に復活を遂げたのです。

現在

2019年度の名鉄の純利益は、304億円。
なんとこれは、過去最高の純利益です。
セントレアへの乗客の増加が、利益に一番大きく影響を与えているそう。
やはり、ミュースカイへの投資などの賭けは当たりだったと言えるでしょう。
また、名鉄犬山市の観光地に人を集めるべく、PRを行なっています。

様々な活動を通して、鉄道を使ってもらえるよう努力している名鉄
これからの自動車社会の中で果たしてどうなるのか、気になりますね。

今回はここまでです。
読んでいただきありがとうございました。
これにて名鉄の歴史シリーズは終了しましたので、次回からまた別の話題になると思います。